台風が来ていたときの空の色。
水蒸気や塵の量、風速とかが相まって光の波長が変わって起きるし、黄色に見えているわけです。
普段の夕焼けならそれが一部なのだけど、視界が変わるくらいってことは大気圏全体で起きている証拠なんだなー。
えーと、色々と準備をしています。本当に色々と。
整ってるといえば整っているのだけど。明日発表するつもりです。
MOURNのザ・キュアーのカバーが良すぎてスペイン限定のLP予約してもーた。届くの楽しみ。
とびだしぼうやはいつもかわいいね。
私は思ってることが比較的簡単に具現化しやすいタイプの人間らしい。それならすぐ金持ちになりたいんだけどなー。(笑)
どれだけ生活でその妄想がまとわりついているかなんだろうな。
こっからは備忘録。ブツブツいうだけなので見たくない人はそれでいいと思う。
あいちトリエンナーレの件、不自由の表現展に限らずなのだけど、本当に国としての危機感を感じた出来事でした。
毎年8/6広島原爆投下の日に投稿して小5の社会見学で原爆ドームに行ってた自分としては、一番のインパクトを与えていた被爆してドロドロになった人たちが歩いている絵画がなくなったときに、すごく不安を感じたのを思い出しました。
資料とか、色んなもの疑似体験としての芸術がなくなっていくほうが怖いと思っています。見たくない人は見に行かないでいいんだし。
芸術は、全員の人が見る見ないの選択があっる代わりに制作は自由だし、存在はしていいはずなんです。常によほどの過激派で人間含め動物をアートとして殺しまくってるのばっかりするなら困るけれど、全部がそうじゃないのなら話は違う。
そんなことで芸術を金や権力で国が規制するようになるのなら、本当に義務教育学校で学ぶことしか知識として供給しないような国になってしまう。
もちろん、そこで得る知識も大事なのだけど、それ以外のことを知る権利もある。
それは誰にでもわかっていると思う。
数年前にメジャー音楽レーベルでマネージャーをやることになった知り合いが、「日本は芸術で食べていくのにあまりにもハードルの高い国だ」と言っていたのが妙に痛く響いてしまった瞬間でもありました。
極端に言うとカジノや風俗はガンガン受容体制なのに、そんなことで国民全員が豊かに感じるわけがない。
生計を立てるためにメディアそれを演じたり巻き込まれる芸能人および関係者もさすがに可哀想。もはやプロパガンダだし、生計が生活になってしまうのは本当に良くないし、日本人はただでさえそうなる気質なので、勘弁、というか、辞めてくれー。
そんなことをやるつもりなら国の自然の性質を理解した上で、災害対策のものを国民全員に生産して供給するとかしてほしい。
そもそも、補助金の件も、一部の展示に対して一部取り消しならわかるんだけど、補助金全部取り消しだったのはどういう根拠でそうなったのか本当に不明瞭。。。